Tramonto


 夕焼けが並盛の空を照らす中、ツナはざくざくとまっすぐに、ひたすらに前を向いて大股で歩いている。
 そして、歩き始めてどれ位の頃からだろうか。
 数歩遅れて、同じだけの速さで、地面に長く落ちたその影の、とんがった髪の輪郭の先を踏むようにしてひたひたと歩く、彼よりも幾分背の高い人影があった。
 ツナは黙って歩いている。後ろの気配が存在しないかのように。
 けれど、その素振りもいつまでもは続かない。とうとう耐えかねた。
「何で付いてくるんですか」
 ほんの少し歩調を緩めて振り返りもせずに、ぶっきらぼうに口を開く。
 普段の怯えたような色は無い、けれど、いつも言葉の端々から滲み出ている人を気遣う優しさも見えない、硬く冷たい声だった。
「知らないよ。歩いてる方向が一緒なだけじゃないの」
 嘘を吐け。
 それならば、その妙に上機嫌な口調は何なんだ。
 振り返らなくてもわかる。嘲るような、あの酷薄な笑顔を薄っすらと唇の端に刻んだ雲雀の表情が鮮やかに脳裏に浮かぶ。
いちいち否定する気力も湧いてこなかったツナは、小さく溜息を吐くとまた再び歩調を戻して歩き出した。
「……ヒバリさん、並盛町はここまでですけど」
 男二人、押し黙ってひたすら早足で歩きまくれば、ひとつの町などすぐに果てが来る。
 すぐ先に見える横断歩道にかかった信号機に、黒曜町の文字と、町のマークの描かれたプレートが下がっていた。
「知ってるよ」
「見回り中なんでしょ。しなくていいんですか」
「大丈夫」
 何が大丈夫なのか知らない。
 そんな短い会話を交わすうちに、ほぼ自動的に動かされる脚に運ばれて、ツナの身体はあっさりと信号機の下をくぐっていった。
 コンクリート塀に打ち付けられた住所の表示が、あたらしい町のものに変わる。

 
 雲雀はまだついてくる。


 雲雀は、沢田綱吉の後を追うように、町境を越える。
 いつだって並盛町を離れる時は、うら寂しいような、奇妙な心持ちに捕らわれるものだ。
 地面も町並みも、そう変わらないはずなのにどうにも落ち着かないから、用もないのに雲雀は並盛の外に出たりはしない。
 だからもう、偶々方向が一緒だなんて見え透いた嘘は表面上だって通用しないが、別に構わなかった。
 別に反射的に言ってみただけであって、彼が欠片だって信じていないのは知っている。
 沢田は黙って歩いている。
 ポケットに両手を突っ込んで、ほんの少し背中を丸めて、つんのめるように大股で、早足で。
「なァんで、付いてくるかなア」
 鮮やかなオレンジ色の夕日が、まっすぐ進んでいる緩やかな下り坂の果ての家並みの向こうに姿を消して、東の空を覆う藍色が空全体に広がっていこうとする頃。
 再び、我慢の限界に近づいたのだろうか。
 沢田は、最早苛立った様子を隠しもせずに背を向けたままそう吐き捨てた。
 さてどう返すべきかと雲雀は暫し考える。
 雲雀はいちいち、自分のすることに理由をつけてから行動するタイプではなくて、今のこれだってただ、付いていきたかったから。
 それだけだったのだ。まあ強いて訳を考えるならば、
「……面白そうだったから?」
 はあー、と、大きい溜息が聞こえた。
 がっくりと肩が落ちて、ただでさえ悪い姿勢が益々悪くなっている。
 リアクションが大げさすぎるので、わざとやっているのかもしれない。
「オレのこと嫌いなんでしょうが」
「嫌いだなんて言ったっけね」
 さて僕は彼が嫌いだっただろうか。
 そんなふうに考えた。
 多分違うはずだ。
 それならば、こうまで無礼な態度を取られて尚、咬み殺す気がまだ起こらない理由が無い。 
「口癖みたいに、群れてる小動物が嫌だ嫌だって言ってるじゃあないですか」
「君は今群れてない」
 明快な事実を指摘してやっただけの積りだったが、沢田はその言葉に反応したかのようにいきなり立ち止まって、ばっと雲雀を振り向いた。
 同じ歩調で歩いていた雲雀は、数歩近寄って、その後止まる。 
 近い距離で向き合った。
 乾いた瞳の光を目にして、泣いてなかったんだな、と思った。
 平淡な声からしてそんな筈は無いと判ってはいたけれど、背中を丸めた後姿に何故かそんな印象があったのだ。  
 おどおどとぶれる事の無く、まともに雲雀を見据えるその眼光は、いつもの気弱な草食動物のそれではなく。
 雲雀は、この先、この男が誰かと居ることを、嘲りはしても、侮ることはもう無いのだろうと直感した。
「何があったの」
「……」
 今こうしてひとりきりで歩いていることと、何か関連があるのかと。
 そう思って尋ねてやったが、沢田はそれには答えずにまた、前を向いて歩き始めた。
 行く道は最早真っ暗だ。
 長いまっすぐな道路の間に、街灯は申し訳程度にしか灯っていない。
 前を行く沢田の、制服のシャツだけがぼんやり白く浮き上がっていた。


 眩しくライトを光らせた長距離トラックが轟音を立ててツナの目の前を走り過ぎていった。
 今まで歩いてきた道は、国道にぶちあたってそこで終わっている。
 数百メートル先に、信号機の青色が見えていたけれど、そこまで迂回するのも面倒くさく、車が通らないのを見計らって道路を横断する。
 国道に沿って並ぶ防砂林を抜けた先は、並盛海岸の広い砂浜と、その先には真っ黒な海が広がっていて、今度こそ本当のどんづまりだった。
 立ちつくすツナの真後ろにひたりと、雲雀の気配が張り付いている。
 居心地が悪いので、ツナは斜め後ろに下がって雲雀と並んだ。
「どうするの、これから」
「まあ。どうしようんもないんで家に帰ろうかなと。電車で」
 ゆらゆら動く波打ち際を見つめながら、そう答える。
 空腹はそれ程感じなかったが、いい加減足が棒だった。
 汗の乾き始めた身体に海辺の空気が冷たい。
 小さく歯を鳴らしながら隣を見やれば、羽織った学ランのお陰だろうか、雲雀は涼しい顔で吹き付ける浜風に身をさらしていた。
「…ヒバリさん」
「なに」
「怪我はもういいんですか」
 あの時。
 グラウンドの真ん中で、左脚を血に染めて、この傍若無人を絵に描いたような人が蹲っていた。
 庇うように歩いていた。
 名誉にもならない過去の負傷を穿り返されて、雲雀はあからさまに不機嫌そうに眉を寄せた。
「君には関係ないだろ」
「ヒバリさんていつもそれですね」
 関係ないと思っている訳もないのに。
 この人は変わらないな、と思って、ツナは小さく笑った。
 関係ないということは、寂しいけれど、気が楽だ。
「今日、お兄さ……笹川先輩と職員室で会ったんですよ」
「……」
「まあオレは学校サボってた呼び出しだったんですけど、お兄さんは顧問と喧嘩してて。何かと思ったら、試合に出すとか出さないで」
 左腕一本でもオレは負けるつもりは無い!と、困惑顔の顧問の体育教師に食って掛かっていた。
 ツナが右耳で説教を聞き流し、左耳で騒ぎを窺っているうちに、担任から学年主任まで出てくる事態となっていたが、規定と言いくるめられて半ば無理やり説得させられていた。
 不満顔で、退出しようとした了平は、同じくドアに手をかけたツナにそこで気がついて、言葉を詰まらせた彼にあっさり笑って見せたのだった。
「気にするなって、しない訳がないですよね」
 自分のせいだ。
 了平も、獄寺も山本も。ランボも、きっとあの少女も。
「で、逃げてきたの」
「逃げてません」
 そこだけはツナは、はっきりと答えた。
「……歩いてただけです。いやほんとに」 
 関係ないということは、気は楽だけれど寂しい。
 ずっとそうだったから、例え相手が離れて行く事があるとしても自分から手を離すことだけはあるまいとツナは信じている。
 雲雀は答えずに、黙って海を眺めている。
 関係ないとか吐くくせに、ずっと彼の隣に立っている。
 微かに感じるその体温に、ああ、このひとの傍は心地いいな、と、思った。