サンデーサン 病院を出ると、先ほどまで激しく打ち付けるようだった雷雨は嘘のように過ぎ去っていた。 黒々と澄んだ星空を眺める余裕もなく、重症を負ったランボと幸先の良い出だしであった昨日から一転して形勢の逆転した勝負のことを思いながら。 それぞれの家路が分岐する三叉路のところで、彼らの間に未だ漂う重苦しい空気を破り、山本がいきなり能天気な声をあげた。 「ふー。しかし緊張したら腹へって来たな。なあ、解散する前にミーティングがてら何か食ってかねえ?」 いきなり日常に戻ったかのようなその声音と台詞に、一同はそれぞれにびくりと立ち止まった。 言った当人は、へらへらと笑いながら後を続ける。 「この近くに深夜二時までやってるラーメン屋があんだよ」 「アホか!お前この状況で何を言っていやがんだよ!」 額に青筋を立てて怒鳴り返す獄寺の肩をがしりと掴んで了平が止めた。 「いや、オレは山本に賛成だぞ。確かに形勢は不利だ。ランボがあのようになったことについても、オレ達は年長者として少なからぬ責任がある。しかし、だからこそミーティングを行い反省点を明確にしてこそ明日に繋がるだなー」 部活気分が抜け切れていない体育会系二人に挟まれた格好になった獄寺は、それでも負けじと渾身の力を込めて肩に掛かった手を振り払って喚いた。 「オレはまだ反省なんぞしてる段階じゃねえんだよ!行くならお前ら二人で行け」 言いざま、獄寺は足元に転がったアルミ缶を蹴り飛ばした。 それを追うように群れから外れ、肩を怒らせて大股に帰っていく。 「十代目もこんな奴等に付き合ってたらカロリーの摂り過ぎで成人病になりますよ」 振り向いて、ツナに一言言うのも忘れなかった。 別れ際に突然話を振られ、困ったように三人のやりとりを聞いていたツナは、視線が集中して、慌てて首を振った。 「あー、オレもこの時間にラーメンはちょっと…修行があるからってランボの看病母さんに任せてきてるわけだしさ」 それまで黙って事の経過を見守っていたリボーンは、そこでひょいと山本の肩からコンクリート塀に飛び移り、高処からツナと山本、そして了平を睥睨する。 「全くだ。明日は五時修行開始だぞ。ま、お前らに関しては了平の言うことも一理あるからな。オレ等のことは気にせず行って来い」 促されて、ツナもリボーンの後を追って、別れの挨拶を残して次の角からそそくさと消えていく。 手痛くはねつけられた格好の山本は、困ったような笑顔を浮かべて頭を掻いた。 ひとり残った了平に語りかける。 「…あー、どうしましょうか」 「どうもこうもあるか」 了平は、勢いの削がれた様子で頭を掻く山本の背を掌でばしんと叩いた。 「行くぞ」 「ッス」 十月のひんやりとした夜風の中、叩かれた部分から、彼の高い体温を残すようにふわりと温もりが広がっていく。 それを心地よく感じながら、道もわからないであろうのに、前に立ってずいずいと大股に進んでいく了平の後を山本は小走りに追いかける。 「先輩、そっちじゃないす、信号曲がってずっと行って国道のほう」 道の開けた国道沿いに明かりの点るその店は、深夜を回っているにも関わらず狭い店内はほぼ満席で、数組の客がテーブルについて各々ラーメンを啜っていた。 運良く、二人と入れ違いに出て行った客があったので 丁度空いた席に移動する。 利き手を吊られた了平は椅子ひとつ引くのにも勝手が違う様子であった。 がたがたと椅子を鳴らすうちに、振り回した傘を了平のすぐ後ろに座っていた高校生くらいのグループのうちの一人の通路にはみ出した脚に当ててしまった。 「お、すまん」 了平は軽く謝ったが返事はない。 代わりに、突き刺さるような悪意のこもった視線がグループ全体から沸きあがったような気配がした。 スペースに余裕のある自分のほうの席を譲ればよかったかと、山本は軽く後悔する。 「…学生は大盛り無料なんすよ。どうします?」 「うむ!頂こう」 立てかけてあったメニューを取ると向かいの了平に対して広げてやる。 当人は大袈裟だと笑っていたが、痛々しく吊った右腕と、いつものバンテージではなく白い包帯が無造作に巻かれた左手は、やはり気にするなと言われてもそうはし難いものがあった。 「腕、大丈夫すか」 「これか?なあに心配するな、オレは怪我などに負けん!」 振り上げようとした腕を、山本は慌てて腰を浮かせて手を伸ばして掴んだ。 どこかにぶつけられては堪らないし、またうっかり後ろの、見るからに素行のよろしくなさそうなグループに因縁をつけられても困る。 「先輩」 ゆっくりと下ろした了平の腕に、未だ触れたまま、山本は言った。 「うむ」 「ツナは巻き込んじまったって気にしてるけど、オレは先輩と一緒に戦えてすげえ楽しい」 喧嘩を売られているのはツナ、そしてその場に居た山本と獄寺なのだけれど、そこに了平が加わって、すくと隣に立つ光景は違和感もなくするりと馴染み、山本はそれにいつしか心地の良い高揚感を覚えていることに気がついていた。 そんなことかと了平は清々と笑った。 「後輩を守るのは上級生として当然のことではないか!敵が迫ってくるのを黙って見過ごすわけにいかん」 「…後輩、だからすか」 「ああ。お前も困ったことがあれば何でも相談しろよ」 後輩という枠で一からげに括られてしまった山本の、僅かにトーンを落とした声に気づいているのかいないのか、丁度運ばれてきた大盛ラーメン二杯分を店員から受け取り、ひとつを山本の前にごとりと置きながら了平は請け合った。 「てーか先輩、ハシ使えるんですか」 割り箸を左手と口を使って案外器用に割り折っている了平に、今更のように気づいて山本は問うた。 「うむ、左手を使うのもトレーニングになるからな、機会があれば鍛えてあるのだが…このラーメンというのは、なんとも、うぬ。…うお!」 突然不自然に椅子が揺れ、了平の左手が不安定に握った箸から麺がこぼれて丼に落下してスープを跳ねさせた。 呆気に取られた了平の表情と、後ろのグループのひそひそとした話し声からして、先ほど了平の傘の当たった後ろの席の男が何かやったのだろうと想像がついた。 (あーあ) こちらが中学生であるのと、多分了平の腕の包帯のせいだろう。 舐めやがってこいつら、次にやらかしたらぶっとばしてやろうか。 了平が何も言わないので山本も何も言わなかった。 けれど頭の中でそう思い定めると、表情だけは平静を保ちながら、ひそりと黙ってラーメンの丼を口に当ててずずっと濃厚なスープを啜りこんだ。 それから幾分も経たないうちだった。 突然了平が、がたりと素早く立ち上がり、左手でその動作の煽りを食って半回転した椅子を押さえた。 蹴りつけたところにあるべきものがなく、僅かにバランスを崩してこちらを睨む後ろの高校生を直視して、 「用か」 確乎とした声が響く。 思いも寄らない反撃を受けた男達は、一瞬絶句したようだったが、次の瞬間血相を変えると各々、がたがたと椅子を蹴って立ちあがった。 背を向けた了平の、握り締めた拳が目に入る。 白い包帯の巻かれて地肌の見えない、微かに薬品の匂いのする左手が。 山本は箸を机に放り出すと、がばと席を立った。 仁王立ちの了平に次いで、正面の高校生を牽制するようにぐるりと鋭い視線を送る。 思いのほか上背のある山本に、上から睨みまわされた彼らはしかし、怪我人の中学生とあなどってか、自分達の数を頼んでか、一層殺気を込めてざわめいた。 一気に緊張感が場に満ちて、ぎょっとしたように他の客も山本達を振り返り、ある者は逃げ出そうとしてか腰を浮かせ、ある者は面白半分の興味深げな表情を浮かべてこちらを遠巻きに覗いている。 「ちょっと、あんたら何やってんだよ。ケンカなら外でやんな!」 明らかに不良あがり、つまりは場慣れした雰囲気を漂わせた店員が、奥の卓の清掃を中断して空の丼を抱えて怒鳴りながら駆け寄ってくる。 「…っ」 弾かれたように、山本はそちらを振り返り、ついで一歩前で両足を踏みしめる了平を見やった。 了平は正面への視線を外さない。 やがて、相手の男と、睨みあったままがたがたと再び椅子の軋む音を立てて2人はゆっくりと腰を落とす。 山本も、相手の連れの男達もそれに続いてもとの席に着き、推定元ヤンキー店員のその経歴を十分に生かした迫力のある視線を痛いくらいに浴びながら、再び卓に向かって大分冷めたラーメンを片付ける作業に戻っていった。 「あのー、すんません、変なのに巻き込んじまって」 それから早々に完食し終えて、二人は代金を払うと店を後にした。 夜半になって気温は店に入る前よりも尚下がり、肌寒い風が吹き付けていたが、腹を満たされて暖かくなった身体はそれを心地よく受け止める。 山本の謝罪に、了平はきょとんとして振り返った。 「何のことだ?実に美味いラーメンだったではないか!野球部の贔屓の店か?」 「はあ、先輩に教えてもらったんす」 「そうか。では今度ボクシング部御用達のカツ丼屋を教えてやろう!駅前にあって、カツが美味くて量が多くてな」 「いやそれは嬉しいですけど、そうじゃなくて、高校生に絡まれたでしょうが」 「む?ああ。しかし、過ぎたことではないか」 「過ぎてっかなー」 山本は不吉な呟きを漏らす。 二人よりも一足先に店を出た4人組の、出掛けにちらりと掠めた剣呑な視線がまだ記憶に残っている。 「ならば、その都度撃退するまでだ!」 というかこの人、店員に怒鳴られた後から先、けろりと何もかも棚に置き去って、ラーメンを満喫していたのか。 道理で呑気な顔をして食事していたはずだが。 相手が店を立つまで、緊張を残して注意の逸らせなかった山本はがくりと心の中で項垂れた。 その時、不穏な気配が背後から不意に吹き上がった。 山本はぴたりと立ち止まって気配をうかがう。同時に了平も足を止めて、視線を周囲に走らせた。 「今みたいに、かよ」 「む」 立ち止まったのは、国道から少し入った路地で、両脇には砂利の敷かれた簡易な駐車場が開かれて今は奥のほうに数台のトラックが止まっているのみで、喧嘩には持って来いの場所である。 電信柱の根元に立ち尽くす二人の眼前に、先ほどの高校生がゆっくりと姿を現した。 人数が増えているのと、物騒な得物を手にしているのが違うところだ。 「先輩。ここはオレが」 ジャージの前をはだけながら、山本が小さく囁くのを、了平は視線も合わせず一蹴した。 「オレの売られた喧嘩だ。お前は下がっていろ」 「ちょ、本気すか」 左手のみで構えを取る了平の姿は、冗談を言っている者のそれではなかった。 もとより冗談など言う男でないことは山本は短くはない付き合いの中で知り尽くしている。どんなに荒唐無稽かつ支離滅裂かつ破天荒な主張であろうが、了平がするからにはいつだって本気中の本気なのだ。 つい昨日の、了平の試合の、肉体の壊れる鈍い音と、たらたらとグローブの間から垂れ落ちる血が山本の記憶には未だ鮮明に残っている。 「…先輩」 「何だ!」 山本はジャージを脱ぐと、了平の腰に素早く彼の背にした電信柱ごと巻きつけた。そのまま思い切り引き絞って、袖と袖を固結びに結びつける。前方に意識を集中していた了平は思いもしなかった方向からの攻撃に、気づいたときにはあっさりと拘束されていた。 「こら、山本!ふざけるな、離せ!!」 怒鳴り散らす了平に、心の中で軽く頭を下げると山本は、一風変わった内輪揉めの様子を呆気に取られて眺めていた、半ば毒気を抜かれた様子の、山本から見て一番左の、角材を手にした男の懐に飛び込んだ。 間髪を入れず殴り倒すと、力の抜けた掌から離れた角材を奪い取る。そのまま大きく横に薙いで止めをくれてやり、丁度木刀ほどの長さ太さのそれを、腕を返してぴたりと正眼に構えた。 「えーと…先輩」 「……」 人気のなくなった路地で、その用を終えた角材を放り捨て、山本は気まずそうな笑みを浮かべて電信柱に歩み寄った。罠に掛かった冬眠明けの熊みたいな凶悪な顔つきの了平がぎりぎりと睨んでくる。 「ほどけ」 「殴らないんなら」 「約束する。ほどけ」 唸るように了平が答える。 山本は、電信柱を通して了平の腹に巻かれた片手では到底解けない程に固く縛ったジャージの両袖を、注意深く、指先に力を込めて解き放った。 ばさりとジャージが地面に落ちたが、山本は、拾い上げもせずに黙って了平を眺めていた。了平が左手を伸ばして山本のTシャツを掴んで引き寄せる。 そして、 「ぐ!」 強烈な頭突きが山本の顎をまともに捕らえて、頭のなかに火花が散った。一瞬のけぞった後、数歩よろめいてどさりと背中が壁にぶちあたってそこで止まった。 「…痛え〜〜…」 顎を押さえて、がんがんと鳴る頭を振って視線を上げると、目の前に仁王立ちになった了平が、胸を反らせてふんと息を吐いた。 「思い知ったか!人を馬鹿にしおって」 他人のトラブルに巻き込まれるのは厭わないのに、自分のときは一人で解決しようとする。山本が傍にいるときに、そういう態度を取られるのが悔しかった。 その理由がもし、たった一学年の差によるものだとするならば尚更堪らない。 ここに居たのが山本ではなく雲雀だったら、ディーノだったらもしかしてと考えるのは、 「馬鹿にしてるのは先輩もじゃないですか」 嫌だ。 「どういう意味だ」 「自分のことは頼れって言うのにオレのことは頼りにしてくれてないじゃないすか」 了平がなにか言いかけるのを、山本は覆い被せるように怒鳴って遮った。 「……オレは!あんたに守ってもらいたい訳じゃねえんだよ!」 「何故だ!理由を言え!」 「男だからだよ!」 「オレとて男だ!」 「好きなんだよ!」 ざあ、と絶え間なく吹いていた風がふいと止まった。 しんとした空間で山本は、今自分で口走った内容に呆然としていた。 同じく了平も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして山本を見据えている。 「いや、今の間違い、えーと、その、そうじゃなくて」 慌てふためいて、代わりの言葉を頭の中を必死で探る。 えーと。 「―――好きです」 尚更違うだろ! 心の中の絶叫も、最早声に出してしまった後では届かない。 だらだらと、冷や汗が背中を伝っていくのがわかった。 いや、待て。なんせ相手はあの笹川兄だ。ちゃんと伝わっていない可能性だってまだある。 破顔一笑で、うむ、お前の気持ちは有難く受け取っておくぞ!とか…………。 そろりと顔を上げた山本の目に映ったのは、見事に固まって、常夜灯のほの暗い明かりの下でも明瞭な程に赤く頬だけを上気させた了平の姿だった。 なんでこんな時だけ正確に伝わるのだ。 「…せんぱい」 「…つまり、お前はオレに守られるのが嫌だと言う訳か」 「いや、一概にそういうわけじゃ…」 一方的なのが嫌だというだけなのだが。了平はしかし、山本の言葉が耳に入っていない様子で、そのうち耳から湯気でも出るのではないかと心配するくらいに考え考え、続く言葉を搾り出した。 「しかしそれは極限に困る」 「…なんで」 「男だからだ」 「オレだって男っすよ」 その時、穴の開くほど凝視していた了平の顔が火を吹くくらいに赤く染まり、周辺の一帯に筒抜けそうな怒号が響いた。 「ええい、どうもこうもお前がかわいいのだ!好きだ!」 |