なつまつり

「……どこだ。ここは」
 眉根を寄せて、了平は呟く。
 妹とその友人を、並盛海岸の花火大会に引率してきた筈だったのだが。
 出店のひとつに、愛らしいガラス細工の並んだ屋台があって、そこから本格的に動こうとしなくなった妹たちから注意を逸らし、数歩歩きかけた時、背後から白煙が吹き付けた。
 一瞬四方が包まれて、煙が消えたときには、完全に彼女たちとはぐれてしまっていたのだった。
 最初は京子が断りもなく先に行ってしまったかと憤慨したのだが、すぐ近くだったはずのガラス細工の店が了平には既に見つけられなかった。
 加えて、頭上のスピーカーから降ってくる軽快なBGMや、歩道の両側に屋台の並ぶ夏祭りの風景はそのままに、その更に向こうに見えるビルや建物のシルエットは、了平のまるで覚えのない遠景であったのだ。
 ひょっとして、迷子になったのはオレのほうではないのだろうか。
 連絡用に、了平も京子も両親の携帯電話を貸与されてはいたが、それすらも繋がらないのだ。
 全く、この手の機械は肝心なときに役に立たない。
 早足に歩けば歩くほど、もといた場所が分からなくなってゆく。
 柄にもなく、困惑する了平に、聞き覚えのある声が掛けられたのはそのときだった。
「笹川の兄さあん!」
 声のしたほう、2つほど離れた屋台に、どことなく中華風に飾り付けられて、のれんに「特製餃子」と書いてある店があった。
 歩きにくい浴衣の裾を絡げ、人ごみを掻き分けて、その屋台の正面までたどり着く。
 そこで餃子をパック詰めにしていたのは、彼の夢にまで見た娘だった。
「お前、でこっぱちではないか!」 
「こんちは、奇遇ですねえこんな所で。花火見物です?」
 エプロンをかけ、三角巾で長い髪を覆った勤労少女は、隣に立った客に愛想よく餃子を売りさばき、振り返って了平ににこりと微笑みかけた。
 数秒間ぼっとした了平だが、はっと我に返った。
 この娘、バイトをしているのならば、ここらの道に詳しいかもしれない。
 迷子だと告白するのは抵抗があるのだが、背に腹は変えられない。
 了平とはぐれた京子が泣いたりしていたらどうするのだ。
 いや、沢田と三浦が一緒には居るはずだが、それでも。
「情けない話なのだが、極限に道を間違ったらしい。まるで覚えのない場所に出てしまったのだが、ここがどこか分かるか」
 問いかけられた少女は、ああ大規模な再開発ありましたからねえと、小さく納得したように呟く。 
 そして、少し首をかしげて、考え事をしている様子だったが、やがて名案を思いついたというようにぱっと顔を跳ね上げた。
「兄さん、海浜公園前の噴水はわかりますよね?隣に花火大会の本部がある。そこに行けば落ち合うときに便利だし、迷子の放送もしてくれますよ」
「おお、成程!ここからは近いのか?」
 ぽんと手を売った了平だったが、そういえば肝心の道筋が分からないのであった。
「5分くらいでしょうか。よかったら送ります」
「しかし、仕事があるのだろう」
「それが、餃子の材料が少なくなっちってきちゃって。いつ補充に行こうかと思ってたとこなんで、丁度よかったです」
 すんなりとした首の後ろに指を回し、三角巾を解くと、長い三つ編みがうねってぱさりと背中に落ちた。
「そうなのか」
「それに、売り上げ持ち歩くから、もし兄さんが一緒に居てくれたら安心かなと」
「そりゃ構わんが。お前、護衛など」
 必要あるまい、と、言いかけて、了平ははたと目の前の、両手を前で組んで、縋るような上目で見上げてくる娘を見直した。
(……頼られとるのか!)
 そう、思い至った瞬間の、今まで感じたことが無いほど強烈な高揚。誇らしさ。
 そんな感情の沸騰するままに、了平は拳を握り締めて叫んでいた。
「きっ……極限に任せろ!このオレが責任持って送り届けてやるからな!」




 中学生の了平は、まだ背が伸びきっておらず、イーピンの目線のところに浴衣地に包まれた肩口があって、それに繋がる首筋は、祭りの熱気のせいかうっすら赤みがさしている。 
 何か喋りかけようと口を開きかけたとき、急に横合いから自分の名前を呼ばれて振り向いた。
 顔見知りのテキ屋が、屋台の中から手招いている。
「あ、こんちは!どうかしました?」
「悪りいけどテープかなんか持ってねえか。さっきぶつかられた拍子にノボリが破けちまってよ」
 苦りきった表情で示された、横に立ててある幟旗は、成程確かに下の部分が派手に裂けて「りんご飴」の飴の字がひらひらと揺れていた。
 エプロンのポケットを探り、出てきた紙テープを手渡そうと顔が近づいた折に、急に声を落としてひそひそと問われる。
「で、誰だよあれ。彼氏?」
 ちらりと指差された後方を見ると、眉間に深く皺を寄せた了平が、腕組みをして屋台のほうをじとりと睨みつけていた。
「ち……違います違います!お兄さん、みたいな」
「フーン」
 あまり信じてない口調で男は相槌をうち、それでも礼がわりと土産にと、2本のりんご飴をイーピンに持たせてくれた。
「用は済んだのか」
「はい!お待たせしました」
 了平のところへと小走りに戻り、尻を掛けていたガードレールから腰を浮かせた彼に、手にしたりんご飴を差し出す。
 礼を言って受け取った了平は、けれど歩き出すことなくそのままりんご飴に食い付いたので、イーピンもガードレールに腰掛けて、2人で並んでりんご飴を齧った。
 自分とあまり年の変わらない了平を横目で盗み見る。
 豪快に食いつかれたりんご飴はもう半分も無くなって、割り箸の先端が顔を覗かせていた。
 姿勢がよくて余計な飾り気のない了平は、着物がよく似合っていた。
 着崩れて前のはだけかけた浴衣でさえも、鍛えられた身体のためだろう、却って男らしく精悍に映る。
「どうした?急に黙り込んで」
「いえ、浴衣いいなって思って。……いえその!京子さんたちも浴衣ですか?」
 まさか、浴衣姿に見とれていたとも言えない。
「うむ、妹が今年はやたらと乗り気でな、自分だけでは飽き足らず父親の浴衣を引っ張り出してきてオレに着せよったのだ」
「似合ってますよ」
「お前は着ないのか、浴衣」
「汚しちゃいますよ」
 はっとしたように了平はTシャツとジーパン、エプロン姿のイーピンを見直して、肩を落として、スマン、と言った。
「そういえばバイトなのだったな」
「……でも。浴衣かあ。会えるって判ってたら、着てくればよかったなあ」
 りんご飴に視線を落として、イーピンはぽつりと言った。
 自分と年の変わらない了平と、並んで縁日の飴を齧っている。
 こうしていたら、カップルに見えるのだろうか。
 もしこれが、油染みのついたエプロンとか、着古したシャツとかでなかったらもっとよかったのに。
 前を横切る少女達の一群の、華やかな色合いの装いが視界の端に入り、もう一段、視線を落としかけたとき、ぐいと手のひらを掴まれて、正面に立ちはだかった了平に引っ張りあげられて向かい合って立ち上がらされた。
「へ」
「何故落ち込むのだでこっぱち!その、あれだ、確かに浴衣もきっとお前に似合うが、こうして」









「エプロンして一生懸命働いているお前も極限にキレイだとオレは思うぞ!」
「……はあ?」
 一気に言い切って、吐ききった息を詰めていた了平は、返ってきた思いも寄らぬ低い声とテンションに、瞑っていた目をそっと開けた。
「な…何だとー!タコヘッド!何故貴様がここに居るのだ!」
「いや……芝生、てめえ今なんつった?」
 了平の目の前に立っていたのは、いつの間にかあの少女ではなく、派手なアロハシャツにエプロンをかけ、ポップコーンやつまみの入った箱を前から提げた獄寺だった。
 妙な顔色をして、じわり、と、了平から一歩離れようとした獄寺のシャツの裾を必死で掴む。
 「ち、違う!オレは今ここにいた娘に……」
「女?まじか?」
「くっ…いや、その」
「あっ先輩。チース」
 一転して興味深々に食いついた獄寺の追求から了平を救ったのは、ビール樽を背中に担いだ山本だった。
「山本。お前ら今までどこに居ったのだ」
「オレらバイトっすよ。公民館の修理費がまだ残ってるんで。つうか先刻ここら辺で先輩とスゲーよく似たオッサン見たんだけど、親戚っすか?」
「いや、知らん」
 上の空で答えながら、了平は己の両手を交互に眺めていた。
 刻一刻と他人の体温の薄れてゆく左手だけならば、幻でも見ていたのだろうという話だが、左手の中にあるのは半分残ったりんご飴。
(夢―では、ないのか)




「―しかし。こうして見ると、昔のオレは案外手が早かったのだなあ」
 しみじみと呟く了平の右手には、すっぽりとイーピンの手のひらが収まっていた。
「に、に、兄さん」
 思わず手を引っ込めかけるイーピンだが、しっかりと握られていて離せない。
「では行くか。餃子の材料を取りに行くのだったな」
「……覚えててくれたんですか」
「忘れるわけが無かろうが」
 ぐい、と手が引かれて、引っ張られるように歩き出す。
 数歩進んでから、了平が歩調を緩めてイーピンの横に並んだ。
「イーピン」
「はい?」
「来週の黒曜神社の夏祭りな。もし手が空いていたら行ってみるか。浴衣でな」
 了平はあれから10センチ以上背が伸びて、振り向いたイーピンの視界に見えるのは黒いスーツの背中だけだ。距離が近すぎて顔は見えない。
 それでも、つないだ手は燃えるように熱くて。
 その手のひらを、そっと指先に力をこめて握り返した。
「―はい」